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はじめまして、ひょい太です。この春からこのサイトを担当させて頂く新人です!尊敬する寅さんのように日本全国を渡り歩き、その地域の魅力を力一杯伝えることを誓います!不慣れな点も多々ありますがみなさんよろしくお願いします。 ひょいとFDA.com 案内人 ひょい太

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家康から学ぶ、リーダー哲学のススメ 天下人が放つ数々の名言! リーダーは、かくあるべし

デキル男は、ブレない!

家康の天下取りの理念は、意外と知られていないが「戦いのない平和な世の実現」だった。桶狭間の戦いで、今川義元の下で出陣した家康は、織田信長に敗北。そして大樹寺の住職・13世登誉上人の「厭離穢土 欣求浄土(えんりえど ごんぐじょうど)」という教えに出会う。「厭離穢土 欣求浄土」とは、穢れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を求めること。家康にとって戦国の世は穢土であり、戦のない平和な世が浄土。戦のせいで、幼いころから家族や大切な家臣を失い続けた家康にとって、生涯、揺るぐことのない思想となり、数々の戦を見守る旗印とした。

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久能山東照宮

追手から逃れた家康は、大樹寺にある松平家の墓前で切腹しようとしたという。「浄土を築くために生きよ」という登誉上人の言葉に、再び立ち上がる力を得た。同寺に祭られている登誉上人の木像は、ふくよかな笑みをたたえるかのようだ。

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部下を窮地に追い込むべからず!

部下の管理能力は、リーダーの資質を大きく左右する。それは現代でも、戦国の世も変わらない。
家康はデキない部下にもチャンスを与え、かつ、その対面までおもんばかる懐の深さをもっていた。1591年家康は、九戸政実の乱を、徳川四天王に数えられる実力者・井伊直政に鎮圧させようとした。すると側近・本多正信が「まずは格下の家臣を送り、ダメな時に直政を出陣させればよいのでは?」と進言。しかし家康は「そんなことをしては初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかなくなってしまうではないか」と一喝する。
格下の者が失敗して恥をかかないように、最初から適任者を送り込んだ、家康のリーダー哲学がかいま見える決断。部下の実力を事細かに見極め、部下をひとりひとり、想いやる。そして適材適所で、冷静に戦略の決断をする。それが家康のカリスマの源泉だった。

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鷹狩りをしている家康像

家康にとって、鷹狩りは生涯の趣味であり、駿府城本丸跡には、鷹狩りをしている家康の像が飾られている。徳川四天王の一人、本多正信は、当初家康に鷹匠として仕えていた。後に帯刀のまま家康の部屋に出入りできたとさえ伝えられるほど、側近中の側近となった正信。家康の死去の際にも「自分は死んだも同然だ」という言葉を口にしたとか。そんな忠心の深い、腹心たちが、家康の天下統一へと導いたと言われている。

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一流のブレーンを持つべし!

今川の人質となり、さらに織田の人質となった幼少期。だが家康はその人質時代に、リーダーとしての資質を培っていた。当時の人質といえば、殺されてしまうことも多かった時代なのだが、家康はその才能を見込まれてか、きちんとした教育を受けることができた。禅や論語、六韜三略(りくとうさんりゃく)など。今川義元の教育係だった太原崇孚らに学び、リーダーの心得を習得。そしてたくましい精神力をも身につけていった。その後も、井伊直政や本多正信をはじめとするブレーンに囲まれて、天下を手にした家康。目上、目下も問わず、環境も選べない状況でも、「自ら学ぶ」心さえあれば、自分を磨いていくことができるものだと、家康の生き様が教えてくれる。

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家康公手習之間

人質時代に家康が過ごした寺の一つに「清見寺」がある。太原崇孚による教育を受けたとされる部屋は、「家康公手習之間」として受け継がれており、まだ竹千代と呼ばれていた幼い日の家康の姿が偲ばれるようだ。同寺には、家康直筆の古文書なども残されている。

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遠き道を行くが如し 急ぐべからず!

家康の家訓として長く伝えられてきた「東照宮御遺訓」。しかしこの言葉は、水戸光圀の「人のいましめ」をベースに旧幕臣・池田松之助が創作し、日光東照宮に奉納したものであることが明らかとなっている。家康自身の言葉ではないことは、残念ではあるが、長い間「家康の言葉」だと信じられていたように、この文章には家康の人生を彷彿させる言葉が続いている。今の世の中を動かすリーダーなら、一度は「東照宮御遺訓」を読まないと。ここから家康の歩んだ人生とともに、家康が抱き続けた理想像が見えてくるはず。

「東照宮御遺訓」
人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を 常と思えば 不足なし
心に望みおこらば 困窮し足る時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りを敵と思え
勝つことばかり知りて 負くるを知らざれば 害その身に至る
己を責めて 人を責むるな
及ばざるは 過ぎたるに 勝れり

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久能山東照宮

駿府城で亡くなった家康の亡骸は、その遺命により「久能山東照宮」に納められた。「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し」とは、家康の人生そのもののようにも見える。

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各空港から名古屋小牧空港までの路線|ひょいとFDA.com
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